本日は映画の話を
私の高校から大学時代は、サブカルに強い憧れをもっていました。
一歩でもその世界に近づきたいと、ヴィレッジバンガードに通ったり創刊間もないクイックジャパンを買い集めたり今ほどインターネットに親しみもなかったため、自分なりに情報を集めようと頑張っていたように思います。
その頃始まったのが、「みうらじゅん&いとうせいこうのスライドショー」でした。
みうらじゅんが独自の目線で気になったものを写真におさめ、それをスライドにして会場のスクリーンに映し出し、いとうせいこうが場に応じた鋭い突っ込みを入れ会場を笑いで包むイベントです。
原宿のラフォーレミュージアムで始まった第1回から渋谷公会堂、日本武道館、さらにはハワイ公演など、トークセッションではありえない規模にまで広がり昨年で13回を迎えたと言います。
私は、数回見に行ったことがあります。
大学生ゆえの気の迷いでアルバイト代をはたいてハワイ公演も見に行きました
。当時サブカルに憧れていた私にとって二人はアイドル的な存在でした。
今回観た映画はそのスライドショーの誕生から20年を記念した記録映画「ザ・スライドショーがやってくる『レジェンド仲良しの秘密』」です。
もう20年も経つのかと気が遠くなりそうになりましたが、この節目の映画はしっかり見ておかなければと意気込んで映画館へ行きました。
とはいえ、主婦なので意気込みつつ100円でも安く観ようとレディスデーを狙っていきました。
ところが、チケット売り場で「こちらは特別料金となっているので1800円です」と伝えられ、通常料金と変わらない価格を支払うことになったのです。
いつもなら「くそー、わざわざこの日に来なくてよかったじゃないか!」と思う場面ですが、私はいたって冷静でした。特別料金が何を意味するのか。私はピンときました。「お土産があるはずだ!」と。
通常のスライドショーでは絵皿やみうら&いとうの等身大プリントのシーツなど、自宅に持って帰ってもどのように活用していいかわからない類の「お土産」を持たせてくれるのが、お決まりとなっているのです。
案の定、指定されたスクリーンに入る際、チケットを係員にもいでもらったあと係員が小さな封筒を手渡してきたのです。
ドキドキしながら封筒の中身を取り出すと、カード大のマグネットが。何とも言えない表情のみうら&いとうの二方が映っていました。帰宅後処遇に困り、とりあえず冷蔵庫に貼ってみることにしました。
映画の内容は過去のスライドショーの名場面をちりばめながら、みうらさん、いとうさんを個別にインタビューしたシーンを挟み、この20年を振り返るというもの。懐かしい過去のスライドを見ているとあのころの私の青春時代がよみがえってきました。
当時スライドショーは人気で抽選でチケットを購入するほどでした。
運よく手に入れたチケットで見に行けた公演、また大枚をはたいて長旅を超えて見に行ったハワイ公演、いずれも1秒も見逃すことが惜しいものですが、私は必ず途中15分から30分居眠りをしてしまうのです。
今回の映画を観ているときも、やはり眠ってしまいました。
スライドショーのゆるさも私自身の挑み方も青春時代と変わっていなかったことがなんだかうれしくなってしまいました。
そして居眠りから目が覚めたあと、いとうさんがこのスライドショーがなぜ人を魅了するのか分析したことに深く共感をしたところがありました。
それは、観客はみうらさんといとうさんが仲良くしている所を見るのが楽しいのだという発言でした。そうなんです。
みうらさんが津々浦々で集めてきたネタを見るのを目的に来ているのですが、それに加えて役割だとか興業だからということを越えた二人の仲良しっぷりを見るとこの上ない多幸感を得られているのです。
この構図どこかで見たことがあるなと思いました。ジャニーズです。
ジャニファンは、嵐や何やらが仲良さげに冗談を言ってじゃれあう姿を見るのが楽しみだと言います。
みうらさんやいとうさんはジャニーズとは全く違うベクトルに位置していますが、人はそのような光景を見ると幸せになることには変わらないんだな、と感じました。
そして、先ほど述べたようにそういう意味でも私にとって二人はまぎれもなくアイドルであったことを痛感したのでした。
20年前の映像と比べると二人は確実に年を重ねています。これからも誰にも真似できないスライドと切れのある突っ込みで私たちを楽しませ続けてほしいなと思いました。
趣味が欲しい
皆さん、趣味はなんですかと聞かれて答えられる趣味はありますか?
私にはありません。
中学高校時代はとあるアーティストのファンになり、ライブに通ったりファンクラブに入ったりしたこともありましたが、二十歳を越えたあたりから何かに熱い情熱を傾けることが出来なくなってしまいました。
それと同時に趣味に対する憧れが強くなり、少し興味を持ったものは、「趣味になるかも!」ととりあえずチャレンジするようになりました。
楽器の習い事もしました。なかなか上達せず、次回のレッスンまでの課題がクリアできず、先生に指摘されるのが嫌でいかなくなってしまいました。
他にもスポーツ系や、料理の教室などにも通いましたが転居などのきっかけでやめると新たな場所で続けるほどの熱量はありません。
こんな私には趣味を持つ資格がないのでしょうか。それともまだ心を震わせる趣味と出会っていないのでしょうか。
私の友人には、以前は無趣味だったのが、20代後半くらいからK-POPにのめりこみ、韓国に足しげく通い、韓国語も独学で習得し、アイドルを撮影するために一眼レフカメラを使いこなすまでに生活が一変した人がいます。
地方の道の駅に現れるハーレーダビッドソンに乗ったおじさん軍団のように、ノーベル賞シーズンにインタビューされる村上春樹好きが集まるカフェのハルキストのように、周りからはときに冷ややかな視線を浴びせられることもあるけど本人は楽しくてしょうがないという趣味に出会いたいのです。
たぶん原因は自分にあります。日ごろからこのブログで書いているように人のことをあーだこーだ言って勝手に分析していることが、足かせになっているように思います。これは人の揚げ足をとることで逆に自分が自由に好きなことをするのにブレーキをかけているような気がします。
そこで今年はそんな自分を変えるべく、自分を華麗に棚に上げていきたいと思います。そして、恥ずかしがったりすることなく、趣味を見つけます!
新年を迎えてもうすぐ2か月が経とうとしていますが、今年の抱負です!
よろしくお願いします!
薄幸な女
男性のみなさん、「薄幸そうな女性」についてどう思いますか?
好きな女性のタイプは?と聞かれたときに「幸が薄そうな人」という人はまずいません。
大概、「明るい」「ポジティブで前向き」「一緒にいて楽しい」「癒してくれる」など、薄幸とは真逆の性質が挙げられていることが多いです。
私自身も、仕事で嫌な事があった日も、お腹が痛いときも、努めて明るくふるまうことが最善と考えていました。それは対異性というだけではなく相手に好感をもたれるにはそうすることが大切だと思っていたのです。
その反面、薄幸そうな女性がモテるという話もたまに聞きます。
数年前まで都市伝説だと思っていたのですが、出会ってしまったのです。今日はそんな幸薄女性のお話をしたいと思います。
彼女は40代前半の独身女性、年齢に合わずとても華奢でかわいらしい外見をしています。ウィスパーボイスで話し、いつも困ったように笑っている女性です。
元気がなさそうだったので「調子悪いんですか?」と聞くと、「はい・・最近元気がなくて・・」と泣きそうな顔で笑うのです。聞くと5人の既婚男性と並行で不倫をしているとのこと。誰も奥さんと別れる気配もなく精神的に参っているというのです。
なんでそんなことになるのかさっぱりわかりませんでした。
たまたまある日、私がお世話になっていた取引先の男性(既婚)を今後の仕事を円滑にするために彼女に紹介したときのことです。明らかにその男性は、浮足だっていました。私と話すときと明らかに違うのです。
男性から「彼氏はいないの?」と聞かれると「いないんです・・・」といい、うるんだ瞳で「私、男性から好きって言われると好きになってしまうんです。ダメですよね・・」と畳みかけます。男性はもうファ~となってしまっています。
なるほど!と思いました。
彼女は性別年齢関係なく、すべてにこのような態度で接するのです。
相手との関係性や立場関係なく、「つらいから助けて」というシグナルを送ります。
イメージとして、暗いというより、弱弱しいという言葉が良く似合います。
暗い女性は嫌われますが、弱弱しい女性は、同性で年下の私でさえも、なんとか励まさなければという気持ちにさせられるのです。
男性ならなおのことでしょう。誰彼構わずそのようにふるまっているため、「彼女にはオレが必要だ!」と本気にしてしまう男性も多いと思います。
本気にする男性の中でも彼女が受け入れるのは、既婚男性ばかりでした。
彼女の生い立ちを聞きましたが、両親が離婚していたり、暴力があったりと家庭環境は恵まれているとは思えないものでした。
一般家庭に生まれて当たり前のように受けられる愛情が受けられていなかったことが、大人になって、多くの人に自分を気にかけてほしい、心配したり、愛情をかけてほしいととれるような振る舞いを引き起こしてしまうのかな、と勝手に分析しました。
そんな彼女は、この度結婚をしました。
しかし、その結婚相手は3股をしていたという不誠実な男性だということです。そんな話をまた憂いを帯びた表情で語り、「ほんとに私って駄目ですよね」というのです。
私は『こらアカンわ』と思いました。
彼女が不幸でいることは、彼女が彼女として保つために欠かせないものなのです。幸せな結婚を選ぶこともできたでしょうが、そうすると誰も彼女を心配してくれなくなります。あえて危なっかしい行動をとることで、彼女はイキイキしてくるのだ、こんな人に惑わされるのは時間の無駄、そう悟ったのでした。
これからも彼女に同情することなくウォッチングを続けよう、そう心に決めたのでした。
友人宅にて③~おもてなし?~
先月訪問したAという友人宅に再び招かれたため、行ってきました。
前回、訪問した際にお手製の昼食を食べていたときに、「茶碗蒸しを作るのが苦手」と何気なく話題にしたところ、今度講習を開いて作り方を教えてあげるということで今回の訪問が決まったのです。
茶碗蒸しが得意であれば口頭でコツや注意点を教えてくれたら十分なのですが、彼女はとにかく張り切っていました。そこからこまめにメールが来るようになりました。最初はあまり気にならなかったのですが、だんだんAの張り切りにモヤつくようになってきたのです。
まず、ほかに苦手なものがあれば教えてあげられるが何かないかというメールが来ました。
私は、茶わん蒸しの蒸しの部分さえ教えてもらえばいいのでお構いなくと返信しました。
そしてその返信に対し、Aは「では趣味で構わせていただく」と返ってきたのです。
次に、肉のそぎ切りの仕方やエビの背ワタ取りの方法は知っているかというメールが来ました。蒸し方のコツだけ知りたいと伝えているし、毎日料理をしているのでそれくらいはできるってわからないだろうか、と思ったので、「それは一応できます」と伝えました。
次に、結婚したら休日も家事に忙しくて趣味のアニメ鑑賞がなかなかできないという愚痴メールが来ました。
「いつも完璧に家事をしているからたまには手を抜いたら時間が作れるのではないか」と返信しました。
返事は来ませんでした。
さらに、張り切って「当日は10品作る予定です」というメールが来ました。
私は以前から再三お構いなくと伝えていますし、家事に時間を取られて趣味に時間が割けないと嘆いていることも聞いているので、「本当にお構いなく」と念押ししました。
返事は来ませんでした。
さて当日、レシピを記載したレジュメが用意され、料理番組さながらに下準備が施されたキッチンで講習が始まりました。品数はきっちり10品ありました。
Aは準備にかなりの時間をかけていたはずです。あれだけやればかなり疲れたのではないかと思います。それくらいのおもてなしを受けました。
でも私からすれば、ちっともうれしくないのです。彼女が費やした時間や労力は私に向けてではなく自己満足のためと感じたからです。
しないでほしいということをして喜んでほしいというのは何とも身勝手でないでしょうか。
家事についても自分で決めている事であって、誰かから強制されていることではないのにさせられている感を出して一人で苛立っているのにも疑問を感じます。
とはいえ、おもてなしとは自己満足と表裏一体というところで、本当に相手にとって心地よいことをするのは難しいと感じます。そしてここまでAに対して批判してしまうと自分で自分の首を絞めておもてなしを難しくしているようにも思います。
今回のことを反面教師にとりあえず、マウンティングをしないおもてなしを心がけてみます。
友人宅にて③~おもてなし?~
先月訪問したAという友人宅に再び招かれたため、行ってきました。
前回、訪問した際にお手製の昼食を食べていたときに、「茶碗蒸しを作るのが苦手」と何気なく話題にしたところ、今度講習を開いて作り方を教えてあげるということで今回の訪問が決まったのです。
茶碗蒸しが得意であれば口頭でコツや注意点を教えてくれたら十分なのですが、彼女はとにかく張り切っていました。そこからこまめにメールが来るようになりました。最初はあまり気にならなかったのですが、だんだんAの張り切りにモヤつくようになってきたのです。
まず、ほかに苦手なものがあれば教えてあげられるが何かないかというメールが来ました。
私は、茶わん蒸しの蒸しの部分さえ教えてもらえばいいのでお構いなくと返信しました。
そしてその返信に対し、Aは「では趣味で構わせていただく」と返ってきたのです。
次に、肉のそぎ切りの仕方やエビの背ワタ取りの方法は知っているかというメールが来ました。蒸し方のコツだけ知りたいと伝えているし、毎日料理をしているのでそれくらいはできるってわからないだろうか、と思ったので、「それは一応できます」と伝えました。
次に、結婚したら休日も家事に忙しくて趣味のアニメ鑑賞がなかなかできないという愚痴メールが来ました。
「いつも完璧に家事をしているからたまには手を抜いたら時間が作れるのではないか」と返信しました。
返事は来ませんでした。
さらに、張り切って「当日は10品作る予定です」というメールが来ました。
私は以前から再三お構いなくと伝えていますし、家事に時間を取られて趣味に時間が割けないと嘆いていることも聞いているので、「本当にお構いなく」と念押ししました。
返事は来ませんでした。
さて当日、レシピを記載したレジュメが用意され、料理番組さながらに下準備が施されたキッチンで講習が始まりました。品数はきっちり10品ありました。
Aは準備にかなりの時間をかけていたはずです。あれだけやればかなり疲れたのではないかと思います。それくらいのおもてなしを受けました。
でも私からすれば、ちっともうれしくないのです。彼女が費やした時間や労力は私に向けてではなく自己満足のためと感じたからです。
しないでほしいということをして喜んでほしいというのは何とも身勝手でないでしょうか。
家事についても自分で決めている事であって、誰かから強制されていることではないのにさせられている感を出して一人で苛立っているのにも疑問を感じます。
とはいえ、おもてなしとは自己満足と表裏一体というところで、本当に相手にとって心地よいことをするのは難しいと感じます。そしてここまでAに対して批判してしまうと自分で自分の首を絞めておもてなしを難しくしているようにも思います。
今回のことを反面教師にとりあえず、マウンティングをしないおもてなしを心がけてみます。
公務員をニヤニヤ観察する方法
いきなりですが、公務員ってどんなイメージがありますか?七三分けで眼鏡をかけて杓子定規な物言いの真面目を絵にかいたような感じでしょうか。
最近の若手職員はそのイメージからだいぶかけ離れているように思います。
私は、少しの間、とある地方公共団体で働く機会がありました。
20代から30代くらいの若手職員はコミュニケーション力が高く、ファッションやメイクなども流行を取り入れ、一見して公務員と思えないくらい垢ぬけている人もいます。
この「一見して公務員と思えない」というのがポイントです。
観察していると、彼らは公務員なのに公務員と思わせない、というギャップをとても大切にしているように感じられるのです。
私はこのギャップをニヤニヤしながら観察するのが好きでした。
例として実際私が出会った公務員たちの話をします。
ある男性職員Aさんは、パンツのベルト通しにウォレットチェーンをつけていました。彼が近づくとチャリンチャリンとチェーンの音がします。「Aさんが来ると音ですぐわかりますね」と話すと、パーマをかけた前髪をかきあげながら「いやー、鍵をすぐ失くしてしてしまうのでこうしておかないとダメなんですよ」と言っていました。
別の男性職員Bさんの場合は「いやー、昨日寝てなくて眠いっすわー」というので、話を聞いてみると(こういうのを誘い受けっていうんですよね)、自身が企画したDJイベントで夜通しプレイに興じていたというのです。
大手企業でもリストラや倒産で不安定な中この10年くらいで公務員人気が急上昇しました。要領よく大学生活を送ってきた学生の就職希望先としても公務員を選ぶ人も増えてきたことが、この現象を生んでいると思うのです。
学内のヒエラルキーの中程度以上にいた学生が、自分の実力と将来を冷静に判断した選択した結果が地方自治体だったということでしょう。
お堅い公務員をやっているけど私生活はお堅くはないんだという自己顕示欲が漏れ出ているような気がするのです。
AさんもBさんも公務員なのに型破りなんだと思われたい雰囲気をビシビシ感じます。しかし、チェーンを使うにしても、鼻ピアスと耳ピアスをチェーンでつなぐような公務員として破天荒すぎることはせず、イベントをするにしても副業としてお金を取るようなことはしません。
ぎりぎりお咎めがない線をついてくるのが非常に公務員的だと思うのです。
そしてそんな彼らは判を押したように20代半ばで職場結婚し、すぐに子どもを作ります。本来20代半ばで結婚し、20代のうちに出産をしておくことは体力的にも経済的にも理想的と言えます。しかしこのご時世、20代での就労や収入が不安定なことから、結婚や出産に消極的になる傾向があるのも事実です。
公務員だと、よほどのポカをしない限り退職に追い込まれることはないでしょうし、倒産の心配もありません。そして、職場結婚を選ぶと、産休育休などの福利厚生も手厚く、収入や年金も2倍なのでかなり手堅い判断と言えます。
こんなに結婚する時期やその相手選びが同じようだと、彼らが見せたいであろう「公務員らしくなさ」のかけらもありません。自由奔放さやハートで行動するのとは程遠く、極めて功利的な行動です。
イケてる一面を見せて型破りな公務員に見せようとしつつ、実際やることはお堅い公務員そのものという、いけすかない気質が、公務員の仕事を続ける上で向いているのではないかと思っています。
公務員の仕事は市のため、市民のためと思ってするには、やりがいが目に見えにくい仕事が多いように思います。
また、反対に上司や同僚に認められたいがために仕事すると仕事に押しつぶされてつらいものです。
今回取り上げた公務員は、公務員の仕事を選んだのはあくまで安定し堅実な人生を送るためのツールでしかないという印象を受けます。そして、公務員の仕事自体、むしろそのドライさが求められる仕事なのではないかと考えています。
だから、公務員らしくなさをアピールしてくるのは鬱陶しいですが、こういうタイプの人がこの市を支えてくれているんだと思うようになると、ニヤニヤしながらでも話を聴けるようになりました。
職業病自慢
自慢にはいろいろな種類があると以前ブログに書きました。今日は職業病に絡めた自慢を行う人にスポットを当てたいと思います。
私が小さいころ職業病というのは、例えば林業に従事している人が、木を伐採するときに使用するチェーンソーの振動によって、振動障害が起こり仕事や日常生活に支障をきたしてしまう、などということを指すと学んだ記憶があります。
しかし最近は本来の意味から発展して、その職業ならではの癖や習性も職業病と呼ぶようになり会話の中にも気軽に使われるようになりました。 職業病自慢となると、この部類に入る自慢です。
例えば、整形外科医だからつい初対面の人の骨格が気になってしまうとか、アナウンサーだからイントネーションや言葉の使い方が違うと指摘したくなるなど、「これは職業病だねー」と言って、自虐を入れながら自分の職業を自慢するのがスタンダートかと思います。
医師であったりアナウンサーであれば、比較的うらやましがられる職業なので納得できます。
ところが、この研究続けていくうちに変化球とも言える職業病自慢があることを発見しましました。
大学教授とお話をする機会があったときの事です。
その先生は「書類の整理をするのがどうも苦手」「試験の時などに用紙の枚数を数えるけどどうもうまくいかないんだ」などとうなだれていました。
このようなごく初歩的な事務作業は一般企業のサラリーマンはできて当たり前です。それができないというのはその世界では仕事が恥ずかしいことかもしれません。しかし、大学教授はそれが出来なくても研究が出来れば問題ありません。サラリーマンと仕事ができるできないの価値観が全く違う世界に身を置いているということを暗にアピールしているわけです。
このパターンは最近結構見かけます。
「今日が何曜日かわかんなくなってるよ」
「満員電車なんて長いこと乗ってなかったから、久しぶりに乗ると辛くて・・」
などサラリーマンが窮屈に感じている人(感じていた人)にのみピンポイントで気づく、職業病自慢があるのです。
そういう人に出くわした場合はにっこり笑って「○○のお仕事だとしないことですもんね」と認めることが円滑なコミュニケーションになるでしょう。毒舌が許される間柄であれば「それ自慢したいんですか?」とストレートに突っ込んでも面白いかもしれませんね。
終わりに、こないだスーパーで20歳くらいの男性が連れの女性に向かって「オレ、コンビニでバイトしているから、商品が一番手前に出てないと気になるんだよね」「オレ、自分の買い物でも袋詰め超早いんだよね、コンビニでバイトしてるからさ」としきりに話していました。
これも職業病自慢かなと思いながら連れの女性の顔を何気なく見たところ、死んだ魚のような目をしていました。彼の職業病自慢は彼女には届いていなかったようです。