友人宅にて①~夫婦とは~
高校時代から親しくしているAという友人がいます。彼女は結婚しており、現在はご主人と二人暮らしです。先日そのAの自宅に招かれ、遊びに行きました。そこでいくつか思ったことがあったので書いていきたいと思います。
Aは結婚相談所で知り合った男性と結婚をしました。いわゆる「婚活」を実らせた女性です。お見合いの結婚ということで、相手の男性の年齢や仕事や年収、学歴に家族構成などAの条件に見合った前提で紹介してもらっています。
ご主人との交際のはじめのころは、外見も好みな人なのだとデートするにもウキウキしていたようでした。
しかし交際を重ね結婚の話題が出たあたりからAのテンションが目に見えて下がっていくのがわかりました。
想いが遂げられたことで、赤ちゃん言葉を使って甘えたり、優柔不断な一面を見せてくるご主人に嫌悪感を示し、不満が噴出していたようでした。
一時は破談になりかねない勢いだったことを覚えています。恋は盲目なのか、ご主人は彼女の態度にもダメージを受けた様子はなくにこにこ(ニヤニヤ)していました。
彼女の嫌悪感は解消されることなく親にもなだめられ、このまま結婚することになります。
結婚後、Aと会うときは必ず、ご主人も一緒です。
はじめはご主人もわかるような世間話をしていましたが、そんな話も長くは続かず、私とAしかわからないような学生時代の話をしたりするときも居心地が良いと思っているのか、悪いと思っているのかわかりませんが、ご主人はずっとそばにいます。
そして毎回、Aはご主人の目の前でご主人のことをコケ落とします。
今回訪問した際も、玄関で私がコートを脱ぐと「なんで受けとって(ハンガーに)かけてあげられないの?ほんとに気が利かないね」と出だしから、Aの口撃が始まりました。
昼食中の話題の中にも、共働きのためAが帰宅して入浴後夕食の準備する時間が必要なため、ご主人に20時ちょうどに帰宅することを強制していると誇らしく語ります。1分早くても遅くてもイライラするので20時ちょうどに帰らないと怒るらしいのです。
他にも、家事をするのは自分(A)で夫は何もしてくれないと愚痴ります。しかし話をよく聞くと、ご主人は家事をしようという姿勢を見せているにも関わらず、やり方が気に入らないから、ご主人にさせていないだけのようなのです。自分で自分の首を絞めているだけなのにそれをご主人のせいにしているわけです。
まだあります。
私に夫からお年玉をもらっているかと聞くので「夫からはお年玉はもらわないよ」というと、オーバーに驚いたうえで、「私の家事労働は年収1000万レベルなのに、この人(ご主人)は、私にお年玉を10万円しかくれないんだよ」と言います。ちなみに自分の給料は自分の小遣いとなっており、Aの趣味のための出費はご主人が支払っています。
ご主人はすがすがしいまでに頭髪が薄い方なのですが、会話の途中で「ハゲ」といいながら、その頭をはたいたり、頬をビンタしたりして甲高く笑ったりします。
そんな扱いを受けているご主人のリアクションはというとへらへら笑ってチラチラと彼女の顔色をうかがっているそぶりを見せます。これが見ていて痛々しいのです。
Aにしてみれば、古い友人が遊びに来てはしゃいでしまい、自分がいかに優位な夫婦関係を維持しているかを見せたいのかもしれません。結婚前からの彼への不満のやり場がなくて、このような形で発散しているのかもしれません。
でも私からしてみれば、それは友人によるただのモラハラ劇場であり、彼女がアピールしたい優位劣位がある夫婦関係は見ていて不快なものでした。
このやりとりをして気分が良かったのはAただ一人だったのではないでしょうか。食事はとても美味しかったですが、なんだかなあという気分で帰宅しました。
話は少し変わりますが、最近「人生フルーツ」という東海テレビ制作のドキュメンタリーを見ました。アラウンド90の夫婦が、自宅の庭で果物や野菜を作り、それを活かした料理を作って食べる、ゆっくりのペースで自分たちらしい生活を続ける姿を映したものです。建築家だったこだわりの強い夫と、朗らかで笑顔を絶やさない妻は、お互いを慈しみあいながら生活をしているのが印象的でした。
結婚は陣地の取り合いという表現がありますが、そうではなく同じ方向を見て協力していけばそんなせせこましい考え方にならず、楽しく生活ができるのではないかなと思った今日この頃でした。
自慢について①
実は日本には自慢があふれています。欧米圏に比べて自己アピールがはばかられる日本で自慢があふれていると考えにくいですが、ちょっと穿った視点で注意深く人の話を聞いていると自慢に見せないようにしながら、巧みに自慢をしてくる場面に出くわします。
それで思い出すのが、小さい頃に読んだ植田まさし先生の4コマ漫画です。男の子(コボちゃん?)がクラスメイトと話をしています。
寒い冬はこたつから離れられない、みたいな内容をクラスメイトに話すとそのクラスメイトは「うちにはこたつがない」と言います。
男の子はこんなに寒いのにこたつがないのは気の毒と思いますが、4コマ目クラスメイトのリビングが出てきてオチが付きます。
そこにはこたつではなく、エアコンをつけてソファに座り優雅にくつろぐ家族の姿がありました。
これもみようによっちゃ自慢なんです。こたつがないと言っているものの、言った本人はこたつがないことを悲観しているわけではなく、エアコンで快適な生活をしているということを含ませているのです。
この類の自慢がそこかしこにあふれています。
実生活で最近よく耳にするのが、「うちにはテレビがない」「テレビをあまり見ない」という自慢です。
高度経済成長期のはじめにテレビがないというと、経済的余裕がないのかと哀れみの対象となったかもしれません。
バブル期にテレビを見ないというと、時代の流れに乗っていない変わり者とみなされていた可能性もあります。
テレビは安価で手に入り、またコンテンツとしての価値が下がってしまった現代、「テレビをみない(持っていない)」というのは「テレビの情報に踊らされない自分」・「テレビより楽しいことを知っている自分」を自慢することができます。
それはテレビにかじりついているより、新しいステージに立てている優越感を意味するのです。
この「持っていない系」の自慢はよく見かける自慢手段です。
断捨離、ミニマリストのブームも手伝って、持っていることより持っていないことがかっこいいというムードになっていることが拍車をかけているように感じます。
例えば、
「車を持っていない」自慢
一昔前までは男性は女性をデートに誘うために、家族で買い物やレジャーに行くために車は必須アイテムでしたが、そもそもデートに行くための恋人さえもいらなくなっている時代、モテるための車なんて発想が薄れてきています。
カーシェアリングや、車を必要としないレジャー、通販などが活発化し、そんな情報を多く持ち駆使することが出来る人は車を所有することを不経済と感じるでしょう。
車を持っていないという言葉の中に、それらの情報を持っている強者であるというメッセージが隠れているのです。
「服を10着しか持っていない」自慢
どこかで聞いたことのあるフレーズですが、本のタイトル以外にも最近では女優の北川景子さんがバラエティ番組で発言したことでも話題になっていました。
女優さんだと高級ブランドの洋服を毎日とっかえひっかえしているイメージですが、それとは真逆で、買ったら買っただけ処分していると話し驚きを与えていたということです。
庶民派を印象付けるだけでなく、これも完璧な自慢です。良いものを見極め自分に必要なものがわかっている、それで着まわせるだけのファッションセンスを持っている、という自慢が隠れているのを見逃してはいけません。
人は認められたい生き物です。でも認めて褒めてと真正面から向かって言っても受け入れられないこともわかっています。こうやって自慢を滲みだす方法で、そんな自分に折り合いをつけているように思います。
他にも気になる自慢があるように思います。思いついたらまた書きたいと思います。
ぽりぽりさん
私の夫はよく「ぽりぽり」をします。ぽりぽりにもたくさんあります。おかきをぽりぽり食べる、頭をぽりぽりと掻くなどなど・・
私の夫が専らぽりぽりするのは股間です。
ふとした瞬間やちょっとしたすきま時間にぽりぽりしています。横になっていても椅子に座っていてもぽりぽりします。
本人は全く無意識のようで、私が指摘して初めて自分の行動に気付くんです。そして、無防備であったところを指摘され恥ずかしいのか「チクショー!」と言って悔しがります。
ぽりぽりをするのは結構ですが、無意識なだけに自宅のみならずどこでもかしこでもぽりぽりしているのでは、と心配をしています。
夫は人前で話をする機会が多い仕事をしているので大勢が注目している中、ぽりぽりしていたら・・と想像してみることがあります。
マイクを持たない手でぽりぽり、PCを操作していない手はぽりぽり、ちなみに私はこのような癖が一度気になるとそればかりが気になってしまうタイプです。
例えば、電車の中で、隣に座った老人が30秒に一回「クチャッ」と口元で音を立てたとします。
私は3回くらい続いた時点で気になって仕方なくなってきます。また鳴らすか、と変な期待を高め「クチャッ」とやると、「またやった!」と不快なはずなのに胸が弾むんです。
そのような感じで、私の夫も聴衆に期待と不快感を与えているのではないだろうかと心配になってくるのです。
陰で、夫に「ぽりぽりさん」などとニックネームがつけられているかもしれません。非常に不名誉な名前です。ぽりぽりさんの奥さんなんて御免こうむりたいです。
いかんせん、ぽりぽりは無意識なので、いつその衝動に駆られるかは本人ですらわかりません。
そこで仮に外出先で、ぽりぽりをしていても股間を掻いているように見られないカモフラージュが必要になってくるのではないでしょうか。
アイデアの一つはカモフラージュの義手をつけておくやり方です。人目には両手を体の脇に添わしているように見せかけておき、実際の両手は服の内側で股間を掻き放題の状態を作っておくのです。
こうしておけば傍目には落ち着きのある穏やかな男性に見えるのではないでしょうか。
もう一つの案は常にエレキギターを肩にかけておくやり方です。ギターで股間がガードできますし、掻きたくなったときも股間ではなくまるでギターをかき鳴らしているように見せることができます。
「あの方、ギターを片時も離さないなんて、ロックね」なんて言われてひょっとして人気が出るかもしれませんよね。
現実的に考えてこの2択しか考えられないので、ぽりぽりさん、もとい、夫が帰ってきたら相談してみようと思います。
好きな食べ物
今日は鏡開きです。正月気分はとうに過ぎ去っていましたが、この年末年始も毎年の事ながら食べ過ぎました。今日は好きな食べ物の話をします。
なんといっても練り物が好きです。おせちでは断然かまぼこ。かまぼこさえあれば何もいらない。
さつま揚げなどの練り物の天ぷらのようなのも好きです。
なのでおでんはうれしい料理です。デパ地下で練り物屋さんの前を通りかかると買わずにはいられません。
好きな野菜はキュウリです。キュウリはなにもつけずにでも食べられます。でも浅漬けが好きです。マヨネーズでもみそでも普通においしいです。冷蔵庫にキュウリがあるといつ食べようかそわそわしてしまいます。
キュウリと言えばトウモロコシも好きです。スーパーにトウモロコシが並ぶとこれもそわそわしてしまうのです。
コーンスープなどの加工品も良いですが湯がいてぐわしと食べるのが大好きです。
パイ生地の食べ物も好きです。ふと気づきましたが、歯触りが軽快なものが好きなようです。
歯でプリっとちぎれる練り物や、ぱりぱりさくさくした野菜やパイ生地が好ましく思います。
逆に頼りない食感はあまり好きではありません。煮物のシイタケや、熟れた柿などぐにゃっとしたものはおぇーっとなります。
私の傾向として好きなものをはまってしまうと間を空けずに食べてしまうクセがあります。1年前に流行ったのが「べこ餅」です。
関東以北しかないお菓子のようですが、葉っぱの形をしていてプレーンの白色と黒砂糖風味の茶色がまだらになっている外見をしています。
素朴な味ともちもち食感が大好きで、自分で作ってストックをしたりして週3回ぐらい食べていました。
ところが、ある日ぱったりと食べたくなくなり、そこから一度も食べようと思ったことがありません。一生食べてはいけないと言われても、「はあ」といったくらいのリアクションしかできません。
同様にハマったものとして、パン屋の「PAUL」のクロワッサンにトマトやレタス、生ハムがはさんであるサンドウィッチがありました。
それもこんなにおいしいサンドウィッチがあったのかと飛びつき、ことあるごとに買い求めていましたが、これもぱったりとブームが終わりました。
今では、このサンドウィッチとコンビニおにぎりを差し出されてどっち食べる?と聞かれたら、おにぎりを取ってしまいそうな勢いです。恐ろしいことです。
なので、今年からは好きなものはのめりこまずほどほどに口にすることにします。そうしないと人生の終わりには美味しく食べるものがなくなってしまいますので。
日曜日のラジオ
我が家からテレビを撤去してもうすぐ1年が経とうとしています。テレビが面白くなくなってきたかもしれない、と感じたのを境に実験的にテレビを処分したのです。
テレビがない生活になれるかはじめは心配していましたが、野球中継が見たいと思った以外に特にテレビがないことで不便は感じていません。
テレビの代わる娯楽の中心はラジオです。ラジオは今のところ、ザッピングすることなくプロ野球の中継が聴けるAMの1局だけを聴いています。
ラジオを真剣に聴くのは学生時代に深夜放送を聴いていた以来です。
しかもべったり一日在宅しているので、下手すれば朝8時から夜11時くらいまで、ラジオはつけっぱなしにしている状態です。
ラジオは番組の時間も、番組のコーナーの時間もCMが流れる時間もほぼ毎日変わらないので時計を見なくても大体何時何分かがわかるのが魅力です。
今ではすっかりヘビーリスナーになっており、CMをそらで歌えたり、よく投稿してくるリスナーの名前を憶えていて「この人ってば、朝も夕方も投稿していたのに夜も読まれているよ。暇だねー」なんてその言葉そっくりそのまま自分に返ってきそうなくらい聴きこんでしまっています。
そんな単調な平日のAMラジオですが、土日は別のプログラムを放送しています。もちろん平日とはリスナーのタイプも異なるし、平日とのメリハリをつける意味でも違うプログラムで納得しているのですが、特に日曜の番組のラインナップは私は全然好きになれません。
特に退屈なのが、朝の健康食品のステマ的な健康番組、または宗教団体が提供しているふわっとした対談形式の番組、夜の女性アイドルの看板番組です。
どちらにも言えることは、対象リスナーが限定的であることだ。偏見かもしれませんが、朝は健康に興味のある高齢者、休日も早起きして朝のお勤めを終えた信者を対象にしているのではないかと思います。
夜のアイドルは言わずもがなそのアイドルのファンのみに限られているように感じます。
それらに当てはまらない人にとって日曜日のラジオは極めて退屈なラインナップになってしまいます。毎週毎週どうにかならないものかとうんざりしているのです。
そういえば日曜日のテレビは、家族みんなで楽しめる最大公約数のようなドラマやバラエティが中心だった気がするので、ラジオの世界と対照的ですよね。
どちらにもなじめない私にとっては、しばらくプレミアムラジコを使い他局のラジオを徘徊して、しっくりくるものを見つける「ラジオ・自分探しの旅」に出かけようと思います。
またレポートします。
日曜日のラジオ
我が家からテレビを撤去してもうすぐ1年が経とうとしています。テレビが面白くなくなってきたかもしれない、と感じたのを境に実験的にテレビを処分したのです。
テレビがない生活になれるかはじめは心配していましたが、野球中継が見たいと思った以外に特にテレビがないことで不便は感じていません。
テレビの代わる娯楽の中心はラジオです。ラジオは今のところ、ザッピングすることなくプロ野球の中継が聴けるAMの1局だけを聴いています。
ラジオを真剣に聴くのは学生時代に深夜放送を聴いていた以来です。
しかもべったり一日在宅しているので、下手すれば朝8時から夜11時くらいまで、ラジオはつけっぱなしにしている状態です。
ラジオは番組の時間も、番組のコーナーの時間もCMが流れる時間もほぼ毎日変わらないので時計を見なくても大体何時何分かがわかるのが魅力です。
今ではすっかりヘビーリスナーになっており、CMをそらで歌えたり、よく投稿してくるリスナーの名前を憶えていて「この人ってば、朝も夕方も投稿していたのに夜も読まれているよ。暇だねー」なんてその言葉そっくりそのまま自分に返ってきそうなくらい聴きこんでしまっています。
そんな単調な平日のAMラジオですが、土日は別のプログラムを放送しています。もちろん平日とはリスナーのタイプも異なるし、平日とのメリハリをつける意味でも違うプログラムで納得しているのですが、特に日曜の番組のラインナップは私は全然好きになれません。
特に退屈なのが、朝の健康食品のステマ的な健康番組、または宗教団体が提供しているふわっとした対談形式の番組、夜の女性アイドルの看板番組です。
どちらにも言えることは、対象リスナーが限定的であることだ。偏見かもしれませんが、朝は健康に興味のある高齢者、休日も早起きして朝のお勤めを終えた信者を対象にしているのではないかと思います。
夜のアイドルは言わずもがなそのアイドルのファンのみに限られているように感じます。
それらに当てはまらない人にとって日曜日のラジオは極めて退屈なラインナップになってしまいます。毎週毎週どうにかならないものかとうんざりしているのです。
そういえば日曜日のテレビは、家族みんなで楽しめる最大公約数のようなドラマやバラエティが中心だった気がするので、ラジオの世界と対照的ですよね。
どちらにもなじめない私にとっては、しばらくプレミアムラジコを使い他局のラジオを徘徊して、しっくりくるものを見つける「ラジオ・自分探しの旅」に出かけようと思います。
またレポートします。
私がなぜ急に暇になってしまったか
こう見えても1か月前まで多少なりとも毎日やるべきことがありました。それが急に途絶えてしまい、今こうやってブログを書くに至っています。
昨年、きわめて不確実な情報を提供する医療系サイトが幅を利かせ、ツイッター界隈で炎上し、サイトが関連サイトと共に閉鎖された話は記憶に新しいかと思います。
身体の不調があると、医療機関を受診するより先にネットで症状を検索してみる方も多いですよね。まず検索上位に上がるのは、誰が何を根拠に書いたかわからない医療系サイトです。
同じ検索内容で、いくつか似たようなサイトの記事を横断してみると、たとえば腰痛には冷やした方がいいという記事があったり、温めた方がいいという記事があったりどっちやねんという情報がごちゃまぜになっていることも珍しくありません。
情報が知りたい方にとって、あれには本当に困るのです。特にセンシティブな内容である、医療、法律、育児などに関する情報を適当に流されると、それに振り回されて取り返しのつかないことになってしまう可能性もあります。
こういったいい加減な記事を書いている奴の顔が見たいと思いますよね。
ええ、私なのです。
厳密にいうと私が執筆していたのは、その医療系サイトではないのですが、その1件で閉鎖されてしまった関連サイトで執筆をしていました。元々はクラウドソーシングの会社に登録しており、大手企業の大量募集があったのでコンスタントなお小遣いを求めて執筆を行うことにしました。
執筆テーマは提示されている中から書けそうなものを選ぶことが出来ました。医療系のテーマもありましたが、自分の書いた記事でクレームや問題が起こったりしたくなかったので、テーマは柔らかめの個人の感覚を生かせる内容を選ぶようにしていました。
自分が書いた記事が、そのサイトにアップされると、見栄えよく体裁が整うので自分のつたない文章がそれっぽく見えるようになっていました。今まで検索して読んでいたような記事はこんなド素人が書いていたものだったのかとあらためて愕然としましたが、まじめに仕事を続けていると報酬も上がり、ド素人主婦が在宅で収入を得るには割のいい仕事となっていきました。
そこには読み手の役に立ちたいという気持ちはなく、決められた本数の納品を行うことやトラブルなく執筆するためにマニュアルを守ることしか考えていない自分がいました。多くの医療系のライターも同様ではないでしょうか。無責任な世界です。反省してます。
段々雲行きが怪しくなってきて、ついに全面執筆中止となり契約も終了となりました。私がこの仕事で得られたのは、トータル数万円の報酬とタイピングのスキルが上がったことくらいです。
ライティングの仕事はなくなり時間が出来たことでブログを始めるきっかけが出来ました。1円の利益もないけど好きな事を好きなように書けるって楽しいですよね。