友人宅にて②~ブランドと価値観~
今回も友人宅で気づいたことをお話したいと思います。
友人Aはこだわりが強い性格で、何かこれがいいと思ったらとことんそればかりを使用する傾向にあります。
化粧品にしても洋服にしても、このブランドと決めたら、その商品をとことん買い集めます。化粧品などは化粧水や乳液美容液に始まり、ファンデーション、口紅、コンシーラー、マスカラなど、1から10までそのブランドで買い集めるため、月の化粧品代が5万円を超えることもザラだということでした。
結婚したあとはそれに加えて、生活の中にもそのこだわりが見えるようになりました。今回彼女の家に招かれ、おもてなしを受けたときも気になりました。
今回A宅に招かれたのは本場ドイツの伝統的な製法で作られたシュトーレンを食べるためでした。シュトーレンは彼女の気に入っているメーカーのものです。彼女は味についてのコメントはせず、どのような経緯でこのメーカーのシュトーレンを知ったかということを熱く語ります。
出されるお茶にしても、お菓子にしても、決まったメーカーがあります。外食も決まったところにしか行きません。他の店がどれだけ美味しいと聞いてもあれこれ食べあるくことはしないのです。
また料理をつくる際のレシピも、料理教室で得たレシピか、ある一人の料理研究家のシリーズを全部そろえて端からすべて作っていくという具合です。
人それぞれのライフスタイルなので、とやかく言う問題ではないのですがとやかく言いたくなるのはなぜかというと、それらを私に勧めてくるからなのです。相手(この場合はA)の好きなものをいちいち否定はしたくないので「それはいいね」と肯定するとどんどん押しつけモードに入ってきます。
○○(お菓子屋さん)のチョコレートの新作が近々出るから買いに行った方が良いとか、このレシピはとても美味しいから今度料理講習をしてあげるとか、この化粧品は良いから一緒に注文してあげるだとか、どんどん私の生活の領域に進出してくると、困ってきます。
なぜAはここまで、特定のものにこだわり価値観を人に押し付けてくるのかそれが気になってきました。
夫にもその話をしたところ、「自分自身に確固たる価値観がないから、ブランドのもつ価値観に寄っていくしかないのではないか」という結論に至りました。自分の好きなものや必要なものに基準がしっかりしていれば、雑多な中からでも選び取ることが出来ます。それに自分が好きで選んだものという気持ちになるため、他の人に勧める考えにもならないのではないでしょうか。
このブランドのものを持っていれば安心という気持ちで手に入れている場合、一つ一つが使いやすいか(もしくは美味しいか)は置き去りになっているように思います。こだわりがあるように見えて、具体的なモノに対する価値観はないに等しいとも言えます。それってとてもむなしくて寂しいことだと思いました。
多かれ少なかれ誰しもそんな部分は持っていると思います。ここは反面教師として、自分はなにが好きなのか、どういう暮らしが好きなのかを整理して価値観を確立していきたいものです。
友人宅にて①~夫婦とは~
高校時代から親しくしているAという友人がいます。彼女は結婚しており、現在はご主人と二人暮らしです。先日そのAの自宅に招かれ、遊びに行きました。そこでいくつか思ったことがあったので書いていきたいと思います。
Aは結婚相談所で知り合った男性と結婚をしました。いわゆる「婚活」を実らせた女性です。お見合いの結婚ということで、相手の男性の年齢や仕事や年収、学歴に家族構成などAの条件に見合った前提で紹介してもらっています。
ご主人との交際のはじめのころは、外見も好みな人なのだとデートするにもウキウキしていたようでした。
しかし交際を重ね結婚の話題が出たあたりからAのテンションが目に見えて下がっていくのがわかりました。
想いが遂げられたことで、赤ちゃん言葉を使って甘えたり、優柔不断な一面を見せてくるご主人に嫌悪感を示し、不満が噴出していたようでした。
一時は破談になりかねない勢いだったことを覚えています。恋は盲目なのか、ご主人は彼女の態度にもダメージを受けた様子はなくにこにこ(ニヤニヤ)していました。
彼女の嫌悪感は解消されることなく親にもなだめられ、このまま結婚することになります。
結婚後、Aと会うときは必ず、ご主人も一緒です。
はじめはご主人もわかるような世間話をしていましたが、そんな話も長くは続かず、私とAしかわからないような学生時代の話をしたりするときも居心地が良いと思っているのか、悪いと思っているのかわかりませんが、ご主人はずっとそばにいます。
そして毎回、Aはご主人の目の前でご主人のことをコケ落とします。
今回訪問した際も、玄関で私がコートを脱ぐと「なんで受けとって(ハンガーに)かけてあげられないの?ほんとに気が利かないね」と出だしから、Aの口撃が始まりました。
昼食中の話題の中にも、共働きのためAが帰宅して入浴後夕食の準備する時間が必要なため、ご主人に20時ちょうどに帰宅することを強制していると誇らしく語ります。1分早くても遅くてもイライラするので20時ちょうどに帰らないと怒るらしいのです。
他にも、家事をするのは自分(A)で夫は何もしてくれないと愚痴ります。しかし話をよく聞くと、ご主人は家事をしようという姿勢を見せているにも関わらず、やり方が気に入らないから、ご主人にさせていないだけのようなのです。自分で自分の首を絞めているだけなのにそれをご主人のせいにしているわけです。
まだあります。
私に夫からお年玉をもらっているかと聞くので「夫からはお年玉はもらわないよ」というと、オーバーに驚いたうえで、「私の家事労働は年収1000万レベルなのに、この人(ご主人)は、私にお年玉を10万円しかくれないんだよ」と言います。ちなみに自分の給料は自分の小遣いとなっており、Aの趣味のための出費はご主人が支払っています。
ご主人はすがすがしいまでに頭髪が薄い方なのですが、会話の途中で「ハゲ」といいながら、その頭をはたいたり、頬をビンタしたりして甲高く笑ったりします。
そんな扱いを受けているご主人のリアクションはというとへらへら笑ってチラチラと彼女の顔色をうかがっているそぶりを見せます。これが見ていて痛々しいのです。
Aにしてみれば、古い友人が遊びに来てはしゃいでしまい、自分がいかに優位な夫婦関係を維持しているかを見せたいのかもしれません。結婚前からの彼への不満のやり場がなくて、このような形で発散しているのかもしれません。
でも私からしてみれば、それは友人によるただのモラハラ劇場であり、彼女がアピールしたい優位劣位がある夫婦関係は見ていて不快なものでした。
このやりとりをして気分が良かったのはAただ一人だったのではないでしょうか。食事はとても美味しかったですが、なんだかなあという気分で帰宅しました。
話は少し変わりますが、最近「人生フルーツ」という東海テレビ制作のドキュメンタリーを見ました。アラウンド90の夫婦が、自宅の庭で果物や野菜を作り、それを活かした料理を作って食べる、ゆっくりのペースで自分たちらしい生活を続ける姿を映したものです。建築家だったこだわりの強い夫と、朗らかで笑顔を絶やさない妻は、お互いを慈しみあいながら生活をしているのが印象的でした。
結婚は陣地の取り合いという表現がありますが、そうではなく同じ方向を見て協力していけばそんなせせこましい考え方にならず、楽しく生活ができるのではないかなと思った今日この頃でした。
自慢について①
実は日本には自慢があふれています。欧米圏に比べて自己アピールがはばかられる日本で自慢があふれていると考えにくいですが、ちょっと穿った視点で注意深く人の話を聞いていると自慢に見せないようにしながら、巧みに自慢をしてくる場面に出くわします。
それで思い出すのが、小さい頃に読んだ植田まさし先生の4コマ漫画です。男の子(コボちゃん?)がクラスメイトと話をしています。
寒い冬はこたつから離れられない、みたいな内容をクラスメイトに話すとそのクラスメイトは「うちにはこたつがない」と言います。
男の子はこんなに寒いのにこたつがないのは気の毒と思いますが、4コマ目クラスメイトのリビングが出てきてオチが付きます。
そこにはこたつではなく、エアコンをつけてソファに座り優雅にくつろぐ家族の姿がありました。
これもみようによっちゃ自慢なんです。こたつがないと言っているものの、言った本人はこたつがないことを悲観しているわけではなく、エアコンで快適な生活をしているということを含ませているのです。
この類の自慢がそこかしこにあふれています。
実生活で最近よく耳にするのが、「うちにはテレビがない」「テレビをあまり見ない」という自慢です。
高度経済成長期のはじめにテレビがないというと、経済的余裕がないのかと哀れみの対象となったかもしれません。
バブル期にテレビを見ないというと、時代の流れに乗っていない変わり者とみなされていた可能性もあります。
テレビは安価で手に入り、またコンテンツとしての価値が下がってしまった現代、「テレビをみない(持っていない)」というのは「テレビの情報に踊らされない自分」・「テレビより楽しいことを知っている自分」を自慢することができます。
それはテレビにかじりついているより、新しいステージに立てている優越感を意味するのです。
この「持っていない系」の自慢はよく見かける自慢手段です。
断捨離、ミニマリストのブームも手伝って、持っていることより持っていないことがかっこいいというムードになっていることが拍車をかけているように感じます。
例えば、
「車を持っていない」自慢
一昔前までは男性は女性をデートに誘うために、家族で買い物やレジャーに行くために車は必須アイテムでしたが、そもそもデートに行くための恋人さえもいらなくなっている時代、モテるための車なんて発想が薄れてきています。
カーシェアリングや、車を必要としないレジャー、通販などが活発化し、そんな情報を多く持ち駆使することが出来る人は車を所有することを不経済と感じるでしょう。
車を持っていないという言葉の中に、それらの情報を持っている強者であるというメッセージが隠れているのです。
「服を10着しか持っていない」自慢
どこかで聞いたことのあるフレーズですが、本のタイトル以外にも最近では女優の北川景子さんがバラエティ番組で発言したことでも話題になっていました。
女優さんだと高級ブランドの洋服を毎日とっかえひっかえしているイメージですが、それとは真逆で、買ったら買っただけ処分していると話し驚きを与えていたということです。
庶民派を印象付けるだけでなく、これも完璧な自慢です。良いものを見極め自分に必要なものがわかっている、それで着まわせるだけのファッションセンスを持っている、という自慢が隠れているのを見逃してはいけません。
人は認められたい生き物です。でも認めて褒めてと真正面から向かって言っても受け入れられないこともわかっています。こうやって自慢を滲みだす方法で、そんな自分に折り合いをつけているように思います。
他にも気になる自慢があるように思います。思いついたらまた書きたいと思います。
ぽりぽりさん
私の夫はよく「ぽりぽり」をします。ぽりぽりにもたくさんあります。おかきをぽりぽり食べる、頭をぽりぽりと掻くなどなど・・
私の夫が専らぽりぽりするのは股間です。
ふとした瞬間やちょっとしたすきま時間にぽりぽりしています。横になっていても椅子に座っていてもぽりぽりします。
本人は全く無意識のようで、私が指摘して初めて自分の行動に気付くんです。そして、無防備であったところを指摘され恥ずかしいのか「チクショー!」と言って悔しがります。
ぽりぽりをするのは結構ですが、無意識なだけに自宅のみならずどこでもかしこでもぽりぽりしているのでは、と心配をしています。
夫は人前で話をする機会が多い仕事をしているので大勢が注目している中、ぽりぽりしていたら・・と想像してみることがあります。
マイクを持たない手でぽりぽり、PCを操作していない手はぽりぽり、ちなみに私はこのような癖が一度気になるとそればかりが気になってしまうタイプです。
例えば、電車の中で、隣に座った老人が30秒に一回「クチャッ」と口元で音を立てたとします。
私は3回くらい続いた時点で気になって仕方なくなってきます。また鳴らすか、と変な期待を高め「クチャッ」とやると、「またやった!」と不快なはずなのに胸が弾むんです。
そのような感じで、私の夫も聴衆に期待と不快感を与えているのではないだろうかと心配になってくるのです。
陰で、夫に「ぽりぽりさん」などとニックネームがつけられているかもしれません。非常に不名誉な名前です。ぽりぽりさんの奥さんなんて御免こうむりたいです。
いかんせん、ぽりぽりは無意識なので、いつその衝動に駆られるかは本人ですらわかりません。
そこで仮に外出先で、ぽりぽりをしていても股間を掻いているように見られないカモフラージュが必要になってくるのではないでしょうか。
アイデアの一つはカモフラージュの義手をつけておくやり方です。人目には両手を体の脇に添わしているように見せかけておき、実際の両手は服の内側で股間を掻き放題の状態を作っておくのです。
こうしておけば傍目には落ち着きのある穏やかな男性に見えるのではないでしょうか。
もう一つの案は常にエレキギターを肩にかけておくやり方です。ギターで股間がガードできますし、掻きたくなったときも股間ではなくまるでギターをかき鳴らしているように見せることができます。
「あの方、ギターを片時も離さないなんて、ロックね」なんて言われてひょっとして人気が出るかもしれませんよね。
現実的に考えてこの2択しか考えられないので、ぽりぽりさん、もとい、夫が帰ってきたら相談してみようと思います。
好きな食べ物
今日は鏡開きです。正月気分はとうに過ぎ去っていましたが、この年末年始も毎年の事ながら食べ過ぎました。今日は好きな食べ物の話をします。
なんといっても練り物が好きです。おせちでは断然かまぼこ。かまぼこさえあれば何もいらない。
さつま揚げなどの練り物の天ぷらのようなのも好きです。
なのでおでんはうれしい料理です。デパ地下で練り物屋さんの前を通りかかると買わずにはいられません。
好きな野菜はキュウリです。キュウリはなにもつけずにでも食べられます。でも浅漬けが好きです。マヨネーズでもみそでも普通においしいです。冷蔵庫にキュウリがあるといつ食べようかそわそわしてしまいます。
キュウリと言えばトウモロコシも好きです。スーパーにトウモロコシが並ぶとこれもそわそわしてしまうのです。
コーンスープなどの加工品も良いですが湯がいてぐわしと食べるのが大好きです。
パイ生地の食べ物も好きです。ふと気づきましたが、歯触りが軽快なものが好きなようです。
歯でプリっとちぎれる練り物や、ぱりぱりさくさくした野菜やパイ生地が好ましく思います。
逆に頼りない食感はあまり好きではありません。煮物のシイタケや、熟れた柿などぐにゃっとしたものはおぇーっとなります。
私の傾向として好きなものをはまってしまうと間を空けずに食べてしまうクセがあります。1年前に流行ったのが「べこ餅」です。
関東以北しかないお菓子のようですが、葉っぱの形をしていてプレーンの白色と黒砂糖風味の茶色がまだらになっている外見をしています。
素朴な味ともちもち食感が大好きで、自分で作ってストックをしたりして週3回ぐらい食べていました。
ところが、ある日ぱったりと食べたくなくなり、そこから一度も食べようと思ったことがありません。一生食べてはいけないと言われても、「はあ」といったくらいのリアクションしかできません。
同様にハマったものとして、パン屋の「PAUL」のクロワッサンにトマトやレタス、生ハムがはさんであるサンドウィッチがありました。
それもこんなにおいしいサンドウィッチがあったのかと飛びつき、ことあるごとに買い求めていましたが、これもぱったりとブームが終わりました。
今では、このサンドウィッチとコンビニおにぎりを差し出されてどっち食べる?と聞かれたら、おにぎりを取ってしまいそうな勢いです。恐ろしいことです。
なので、今年からは好きなものはのめりこまずほどほどに口にすることにします。そうしないと人生の終わりには美味しく食べるものがなくなってしまいますので。
日曜日のラジオ
我が家からテレビを撤去してもうすぐ1年が経とうとしています。テレビが面白くなくなってきたかもしれない、と感じたのを境に実験的にテレビを処分したのです。
テレビがない生活になれるかはじめは心配していましたが、野球中継が見たいと思った以外に特にテレビがないことで不便は感じていません。
テレビの代わる娯楽の中心はラジオです。ラジオは今のところ、ザッピングすることなくプロ野球の中継が聴けるAMの1局だけを聴いています。
ラジオを真剣に聴くのは学生時代に深夜放送を聴いていた以来です。
しかもべったり一日在宅しているので、下手すれば朝8時から夜11時くらいまで、ラジオはつけっぱなしにしている状態です。
ラジオは番組の時間も、番組のコーナーの時間もCMが流れる時間もほぼ毎日変わらないので時計を見なくても大体何時何分かがわかるのが魅力です。
今ではすっかりヘビーリスナーになっており、CMをそらで歌えたり、よく投稿してくるリスナーの名前を憶えていて「この人ってば、朝も夕方も投稿していたのに夜も読まれているよ。暇だねー」なんてその言葉そっくりそのまま自分に返ってきそうなくらい聴きこんでしまっています。
そんな単調な平日のAMラジオですが、土日は別のプログラムを放送しています。もちろん平日とはリスナーのタイプも異なるし、平日とのメリハリをつける意味でも違うプログラムで納得しているのですが、特に日曜の番組のラインナップは私は全然好きになれません。
特に退屈なのが、朝の健康食品のステマ的な健康番組、または宗教団体が提供しているふわっとした対談形式の番組、夜の女性アイドルの看板番組です。
どちらにも言えることは、対象リスナーが限定的であることだ。偏見かもしれませんが、朝は健康に興味のある高齢者、休日も早起きして朝のお勤めを終えた信者を対象にしているのではないかと思います。
夜のアイドルは言わずもがなそのアイドルのファンのみに限られているように感じます。
それらに当てはまらない人にとって日曜日のラジオは極めて退屈なラインナップになってしまいます。毎週毎週どうにかならないものかとうんざりしているのです。
そういえば日曜日のテレビは、家族みんなで楽しめる最大公約数のようなドラマやバラエティが中心だった気がするので、ラジオの世界と対照的ですよね。
どちらにもなじめない私にとっては、しばらくプレミアムラジコを使い他局のラジオを徘徊して、しっくりくるものを見つける「ラジオ・自分探しの旅」に出かけようと思います。
またレポートします。
日曜日のラジオ
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