府中トン子のただいま迷走中

四方山話を書くブログです。

S教授との思い出

世間はそろそろ卒業のシーズンでしょうか。

 

謝恩会などに参加するであろう大学生を見かけると、自分の学生時代特にゼミの担当教員であるS教授のことを想いだします。

 

大学に入る前は教授というと、気難しいおじいさんというイメージがあったのですが、このS教授は全く異なった人物でした。

 

オープンキャンパスに行ったときだったか、入学後のオリエンテーションだったか忘れましたが、S教授の話を聞く機会がありました。

 

清潔感があり流行を意識したジャケットとパンツを着たS教授。年齢も40代半ばと、思っていたより若い印象の先生でした。話し方、声の抑揚やボリューム、説明の内容や、スライドのまとめ方もわかりやすく大学教授というよりは人気予備校講師のような雰囲気と言った方がしっくりくるような方でした。

 


こんな先生もいるのだなと驚いたことを覚えています。

 

 

S教授のゼミは、当時では珍しく企業とのコラボレーションなどを絡めた「意識高い系」なものでした。

かっこいいと思った私はそのゼミを選んだのですが、さすが意識高いだけあってゼミ活動は真剣そのもの、ゼミの時間以外もゼミ仲間で集まり資料の作成やミーティングを重ねる毎日。「ここ2週間ゼミの連中としか口きいてないわw」という状態でした。

 

 

S教授もそんなゼミ作りをされているだけあって、指導も熱心な方でした。フラットで風通しのよいゼミ環境を目指しておられたS教授。ゼミ飲み会や、夏の合宿にも必ず参加され学生と文字通り膝を突き合わせてとことん付き合ってくれました。

 

 

S教授は教員だからと一線を引くことをしないため、飲み会の席でも学生が「ちょっと先生全然飲んでないじゃないですか~」とビールをつぐと「おいおい、飲ませ過ぎだぞ~」とノリよく飲み干してくれます。

 

会計の時になると、「先生ごちそうさまです!」というと、「おいおい、全部俺に払わせる気か~?」といいながら、ゼミ生15人分の会計を済ませてくれました。

 

「先生、花見するんで公園の場所取りしておいてくださいね」
「先生、みんなの分のパン買ってきてもらっていいですか~?」
「先生、焼きそばパン頼んだのより1個足りないんすけど」

 

なんてことを調子に乗って言ったとしても「おいおい、お前たち遠慮ないなあ」と言いながら受け入れてくれそうな人でした。

 

 

「おいおい、駅前で胴上げはやめろよ~」
「おいおい、川に落とすふりはやめろよ、怖いから」
「おいおい、びしょ濡れのまま帰れっていうのか?」

 

 

と笑いながらひたひたとみんなの後をついてきそうな人でした。

 

 

ここまでエスカレートしたら怖いですよね。やはり学生も教員も適度ば距離感が大切な気がします。

 

毎年、卒業の光景を見かけるたびにS教授のことを想いだし、こんなことを妄想して当時のことを懐かしんでいます。

 

ご卒業おめでとうございます。

 

喧嘩番長乙女に迷走中

昨日散歩中に、自動販売機の前を通りかかりました。広告が掲示できるスペースにアニメのポスターが貼られていました。

 

キラキラした男性が二人、その右下にそのアニメのタイトルが書かれていました。

 

喧嘩番長乙女」

 

思わず、息をのみました。

 

喧嘩番長・・・・乙女!?

 

私はアニメに疎いので、知っている人からしたら何を今更と思われるかもしれません。むしろすでに人気だから飲料会社とコラボしていて、そのポスターが貼られていたと考えるのが自然でしょう。

 

喧嘩番長乙女、しかしこのタイトル・・・

 

喧嘩番長なのに乙女・・・・

 

幼いころから男勝りで、喧嘩なら男にも負けない乙女がひょんなことから女性ということを隠して荒くれものばかりの男子校に通うことになってしまった胸キュン学園ストーリー。

その男子校には、喧嘩なら負け知らずのイケメン番長が存在しています。(ちなみに父親は空手の師範代)

乙女は当然ながら周りの男より体が華奢なために最初は見くびられて相手にもされません。しかし、些細なことから番長の逆鱗に触れ、タイマン勝負を挑まれます。

 

番長の舎弟たちが見守るなか、河川敷での決闘。鋭いパンチと身のこなしで、乙女に軍配が上がります。

 

「お前いいパンチもってんじゃねーか。負けたよ」

 

喧嘩番長乙女の誕生です。

 

タイマン以来、強い絆で結ばれた旧番長と乙女。学校内のいじめや、他校の悪事を絶妙のコンビネーションで解決していきます。

 

 

お互いを敬い思いやる気持ちはやがて恋心に発展してきます。

 

乙女が他校の番長に監禁され、危機一髪の時には旧番長が助けに来ます。全身ボコボコに殴られ、ぐったりしている乙女を連れ出し、「何してんだよ!一人で勝手なことしてんじゃねーよ!」と怒鳴りつける旧番長。

 

帰り道、歩けない乙女をおぶって歩く旧番長、そこには男では感じることのない胸や尻の柔らかさを感じます。

「こいつなんでこんなに軽くて柔らけーんだ?」

疲れて旧番長の肩に顔をもたげて寝息をたてる乙女に思わず赤面する旧番長。

 

「っったく、俺はどうかしてるぜ」

 

乙女は、自分が女であることを明かすことが出来ず、思いを遂げられないもどかしさを抱え、旧番長は同性である(はずの)乙女に特別な感情を抱くことに違和感を感じます。

 

そんな喧嘩番長乙女に、みんなに秘密がばらされてしまう最大のピンチが!!!

 

みたいな話なんですかね?

 

もしくは、喧嘩番長(と)乙女ということでしょうか。

 

都内に住む頭脳明晰・容姿端麗、趣味は乗馬、男嫌いのお嬢様と、地方都市に住む、勉強は苦手でがさつだけど、硬派で喧嘩なら誰にも負けない喧嘩番長が登場し、ある日目覚めると

 

「俺たち入れ替わってる!?」

「私たち入れ替わってる!?」

 

なんてことがあって、お互いの身体や生活環境に戸惑いながらも互いを理解しあい、まだあったこともないお互いに惹かれあって・・地方都市に隕石が落ちて・・

 

みたいな話。

 

いずれにしても喧嘩番長に乙女を引っ付けるネーミングセンスにはやられました。

 

このアニメ知っている方がいたらぜひ教えてください。

 

 

マイルドヤンキーを知りたい~先輩って誰よ?編~

先日通院をしている病院の待合室の後ろの席で女性二人が話をしていました。

会話の内容を何となく聞いていると親しい間柄ではあるようですが、若い方は年上の方に敬語を使っています。
若い方の診察に年上の方が付き添っているようでした。
はじめは嫁姑の関係なのかなと思ったりもしましたが、それにしては年が近すぎるし、かといって病院の付き添いをするくらい近しい関係なわけだし・・と関係性がとても気になりました。


帰りに一緒に来ていた夫とその話題となり、夫から「マイルドヤンキーぽいし、『先輩』が付き添いとしてきていたのではないか」と言われ、それっぽい!と膝を打ちました。

 

 

私はここでも書いたのでおわかりいただけるかと思いますが、(マイルド)ヤンキーとは真逆の人生を歩んできました。

 

huchu-ton.hatenablog.com

 

引っ越しも多く、学校も家から離れたところに通っていたので、地元という感覚が希薄で友達も知り合いもほとんどいません。

 

当然ですが最近までマイルドヤンキーと人生で交わってきませんでした。
でも遠い存在だったからこそ人一倍興味があるのです。

 

そんな私に30歳を迎えた頃から、若い女性からの相談を受ける仕事に就いたことで急に接点を持てる機会が訪れました。

 

その若い女性たちがマイルドヤンキーの定義に当てはまれば当てはまるほど、私の話を聞く姿勢が前のめりになります。

kotobank.jp

役得ですが、彼女たちの生態に迫れるチャンスなのです。

 

そこでかなりの確率で登場するのが「先輩」というワードです。
「先輩に旦那について相談したら・・」
「先輩に子供を預けて今日は来ました」
「家出して先輩の家に行っていました・・」
さらには、
「一人で相談に来るのは不安だったので先輩と一緒に来ました・・」
「後輩のことについて代わりに相談に来ました」

もはや血縁をも超えた近しさで存在する「先輩」という存在。もう自分が自分なのか先輩なのかわからなくなってしまうくらいの強い絆で結ばれているようです。私にはわからない感覚です。

 

 

私の人生にいた「先輩」は
・部活の先輩・・文化系のチームワークの関係しない部活だったので序列もなく交流もなかった
・バイトの先輩・・先に仕事についていた人なだけでフラットな関係なので、先輩という意識がなかった。
・職場の先輩・・仕事上の関係なので壁は厚く、先輩というか上司という感覚で接していた。

 

マイルドヤンキーの発する「先輩」はこのどれにもあてはまらないものです。

中学や高校の上級生というだけでなく、学校という枠組みからも離れた遊び仲間の年長者が「先輩」というネーミングで存在しているのが特徴かなと思っています。


そんなマイルドヤンキーにおける「先輩」は先輩として近寄りがたい距離を保っているどころか積極的にパーソナルな所に介入し私的な部分に介入しているところが見逃せません。

 

地元があって、そこで人間関係を構築し、そこから離れることなどみじんも考えないマイルドヤンキーにとって、ムラ社会は確実に残っていて、先輩も実姉も特に違いはなくみんなで協力して生きていくという考え方があるのかもしれません。

マイルドヤンキー、奥が深いです。

オチは特にありません。

また違ったキーワードで今後も書いてみたいです。

メルカリの独自ルールに思うこと

ceron.jp

 

今日はこの記事が目に留まりました。

 

 

フリマアプリとして人気の「メルカリ」、私も不用品をお小遣いに替えようとしばらく利用していました。

 

この記事にもあるように「〇〇様専用」とか「プロフ必読」とかいう?なキーワードが出てきて、なんだか不気味なノリを感じてきました。

 

それに加えて値引き交渉をするのに、コメント欄を利用する際「コメント失礼します」「お気持ちばかりのお値引き」とか、ここでしか使わないだろうというメルカリ語みたいなものも散見され、それもなんか気持ち悪いなあと感じていました。

利用しながらこの気持ち悪さ、嫌悪感て何なんだろうと考えていたのです。

 

取引や交渉を重ねるに連れ、メルカリに潜む人の欲望を感じるとき私が恐れているものと重なったのです。

 

私は、戦争や災害で最も怖いのは自分に死が迫ってくることよりも、自分を含む人の浅ましさを目の当たりにすることだと思っています。

実際にそのような場面に直面したことがなく死ぬことへのリアリティが乏しいのもあるかもしれません。

 

平和な時は譲り合ったり、主張を控えている場合でもなにか事が起こると他の人を差しおいても自分を優先するさまを見るのがとても恐ろしく、それを見るならあっけなく死んでしまいたいとさえ思ってしまいます。

 

戦争や災害などだけでなく、日常でも同じようなことを感じることがあります。

 

例えば電車の座席の取り合いです。少ない座席をめがけて列に横入りし、一目散に席を取りに行ったりするおばあさんは見ていて吐き気がします。

あんなおばあさんは座席に座らなくても十分長生きするだろうと思います。

 

他にも激しいバーゲンセールの場面でもそれを思います。

サザエさんなどでもよく見かけるデパートでの初売りの場面、人を押しのけ、人のものを強奪してまで商品を手に入れようとする様子はチャンネルを変えたくなってしまいます。

 

メルカリも似た臭いを感じてしまうのです。

値引き交渉が許されているメルカリでは一円でも安く買いたい購入者と、一円でも高く売りたい出品者のせめぎあいを感じます。

またメルカリは取引を行った者同士、評価をつけあうことでモラルの維持を努めています。

それもあって取引をするもの同士、低評価をつけられないようにあらかじめプロフィールに注意点を書いておいて確認してもらうなどの独自ルールが発展していったのでしょう。

 

 

また、語感がまろやかになるようにかつ交渉を有利に運びたいから、変な言い回しを作っていったのでしょう。

 

私はそこに何としても自分が得をしたいという執念を感じ取り、気持ち悪さを感じてしまったのだと思います。

 

最近のメルカリはそのモラルも欠如していっているようで、ユーザーである友人からも頻繁にトラブルの声が聞かれます。

かつて盛り上がりを見せ、今となっては下火になっているヤフオクと同じ末路を辿るのでしょうか。

 

そしてまた新しい仕組みの売買のアプリができるのでしょうか。私のような臆病者に使いやすい平和なアプリを作ってもらいたいものです。

ラーメン派?つけ麺派?私はラーメン派です。

この2択よく雑談ででてきませんか?どっちも好きだよ、という人もどっちも興味ないとう人もいると思いますが、ここを語らせると一家言ある人も結構います。

そこにこの話題を放り込むと盛り上がりますよね。

 

 

私は断然、断然!ラーメン派です。ラーメンが好きなこともありますが、つけ麺の良さがいまいちわかっていないので余計ラーメンに気持ちが向いてしまいます。

つけ麺の苦手なところを挙げてみました。つけ麺屋さん、つけ麺好きの方怒らないで聞いてください。

 

 

① すぐに冷めてしまう
そもそも麺を汁に付けて食べることは大好きなんです。ざるそばやざるうどん、そうめんは大好きです。ですが、つけ麺が嫌いなのには決定的な違いがあります。それは食べるときの温度です。つけ麺はスープがあつあつで出てきます。

 

ラーメンと違い、麺とスープが別に入っていることによって、食べているうちに麺が冷めやすく、あっという間にスープ含むつけ麺全体が冷めてしまいやすいところが理解できません。むしろ、麺は冷たいまま提供される場合もあるようです。私は熱いものは熱いうち冷たいものは冷たいうちに食べたいんです。「ぬるい」というのが一番食欲を削がれます。

 

一説によると麺が冷たくなっているのは、麺の味を感じるのに適しているからと聞いたことがあります。そう考えると、麺の味に興味が薄いのかもしれません。

 

 

② 麺が太い
私はラーメンにおいても太麺より、細麺が好きです。

どんなスープの種類であってもとにかくスープを麺に絡ませたいという思いがあります。つけ麺は太麺が主流です。

スープが絡みにくく、咀嚼しているうちにスープの味がなくなってしまい、麺をもぐもぐしている状態となり、「あれ?私は何をしてるんだっけ?」という気持ちになるのです。我に返り、スープを補い「そうそう、つけ麺食べてるんだよね」と言い聞かせる、の繰り返しです。

 

1本1本が太いせいか、つけ麺はラーメンより麺のボリュームが多いように思います。私は過去3回別の店でつけ麺を食べたことがありますが、いずれも「並」のサイズを頼んだのに麺を食べきれたことがありません。私は基本的に食事を残すことはないので、情けない気分になります。

 


③ スープが濃い
太麺との組み合わせからなのか、漬け汁という役割からなのか、ラーメンに比べてスープが濃い印象があります。

麺を食べ終わった後の十分ぬるくなった状態で締めのスープ割りを行うサービスがありますが、つけ麺の麺を浸した後のもったりしていて、淀んだスープがあまりおいしくありません。それなら、麺を食べている最中のスープを美味しくいただきたい、なのにそのときは濃くて飲めないという迷宮に陥ってしまうのです。あとつけ麺に多い魚粉ぽい味も苦手です。

 

つけ麺好きの方には全く理解されないであろう理由を連ねてしまいましたが、私はつけ麺が嫌いというよりはスープ>麺であるのがよくわかりました。麺はあくまでスープを味わうための脇役だと思っていた自分に気付いたのです。

 

 

※あとあとウィキペディアを観たら太麺・濃いスープ・魚粉系スープはつけ麺の定番なんですね。それが嫌いなら食べる資格なし!と言われればそれまでだ・・

でも書いてよかったです。おしまい。

本日は映画の話を

私の高校から大学時代は、サブカルに強い憧れをもっていました。

 

一歩でもその世界に近づきたいと、ヴィレッジバンガードに通ったり創刊間もないクイックジャパンを買い集めたり今ほどインターネットに親しみもなかったため、自分なりに情報を集めようと頑張っていたように思います。

 

 

その頃始まったのが、「みうらじゅんいとうせいこうのスライドショー」でした。

みうらじゅんが独自の目線で気になったものを写真におさめ、それをスライドにして会場のスクリーンに映し出し、いとうせいこうが場に応じた鋭い突っ込みを入れ会場を笑いで包むイベントです。

 

原宿のラフォーレミュージアムで始まった第1回から渋谷公会堂日本武道館、さらにはハワイ公演など、トークセッションではありえない規模にまで広がり昨年で13回を迎えたと言います。

 

私は、数回見に行ったことがあります。

大学生ゆえの気の迷いでアルバイト代をはたいてハワイ公演も見に行きました

。当時サブカルに憧れていた私にとって二人はアイドル的な存在でした。

 

今回観た映画はそのスライドショーの誕生から20年を記念した記録映画「ザ・スライドショーがやってくる『レジェンド仲良しの秘密』」です。

 

 

もう20年も経つのかと気が遠くなりそうになりましたが、この節目の映画はしっかり見ておかなければと意気込んで映画館へ行きました。

 

とはいえ、主婦なので意気込みつつ100円でも安く観ようとレディスデーを狙っていきました。

ところが、チケット売り場で「こちらは特別料金となっているので1800円です」と伝えられ、通常料金と変わらない価格を支払うことになったのです。

 

いつもなら「くそー、わざわざこの日に来なくてよかったじゃないか!」と思う場面ですが、私はいたって冷静でした。特別料金が何を意味するのか。私はピンときました。「お土産があるはずだ!」と。


通常のスライドショーでは絵皿やみうら&いとうの等身大プリントのシーツなど、自宅に持って帰ってもどのように活用していいかわからない類の「お土産」を持たせてくれるのが、お決まりとなっているのです。

 

案の定、指定されたスクリーンに入る際、チケットを係員にもいでもらったあと係員が小さな封筒を手渡してきたのです。

 

ドキドキしながら封筒の中身を取り出すと、カード大のマグネットが。何とも言えない表情のみうら&いとうの二方が映っていました。帰宅後処遇に困り、とりあえず冷蔵庫に貼ってみることにしました。

 

 

 

映画の内容は過去のスライドショーの名場面をちりばめながら、みうらさん、いとうさんを個別にインタビューしたシーンを挟み、この20年を振り返るというもの。懐かしい過去のスライドを見ているとあのころの私の青春時代がよみがえってきました。

 

当時スライドショーは人気で抽選でチケットを購入するほどでした。

運よく手に入れたチケットで見に行けた公演、また大枚をはたいて長旅を超えて見に行ったハワイ公演、いずれも1秒も見逃すことが惜しいものですが、私は必ず途中15分から30分居眠りをしてしまうのです。

 

今回の映画を観ているときも、やはり眠ってしまいました。

スライドショーのゆるさも私自身の挑み方も青春時代と変わっていなかったことがなんだかうれしくなってしまいました。

 

そして居眠りから目が覚めたあと、いとうさんがこのスライドショーがなぜ人を魅了するのか分析したことに深く共感をしたところがありました。

 

 

それは、観客はみうらさんといとうさんが仲良くしている所を見るのが楽しいのだという発言でした。そうなんです。

みうらさんが津々浦々で集めてきたネタを見るのを目的に来ているのですが、それに加えて役割だとか興業だからということを越えた二人の仲良しっぷりを見るとこの上ない多幸感を得られているのです。

 

この構図どこかで見たことがあるなと思いました。ジャニーズです。

ジャニファンは、嵐や何やらが仲良さげに冗談を言ってじゃれあう姿を見るのが楽しみだと言います。

みうらさんやいとうさんはジャニーズとは全く違うベクトルに位置していますが、人はそのような光景を見ると幸せになることには変わらないんだな、と感じました。
そして、先ほど述べたようにそういう意味でも私にとって二人はまぎれもなくアイドルであったことを痛感したのでした。

 

 

20年前の映像と比べると二人は確実に年を重ねています。これからも誰にも真似できないスライドと切れのある突っ込みで私たちを楽しませ続けてほしいなと思いました。

本日は映画の話を

私の高校から大学時代は、サブカルに強い憧れをもっていました。

 

一歩でもその世界に近づきたいと、ヴィレッジバンガードに通ったり創刊間もないクイックジャパンを買い集めたり今ほどインターネットに親しみもなかったため、自分なりに情報を集めようと頑張っていたように思います。

 

 

その頃始まったのが、「みうらじゅんいとうせいこうのスライドショー」でした。

みうらじゅんが独自の目線で気になったものを写真におさめ、それをスライドにして会場のスクリーンに映し出し、いとうせいこうが場に応じた鋭い突っ込みを入れ会場を笑いで包むイベントです。

 

原宿のラフォーレミュージアムで始まった第1回から渋谷公会堂日本武道館、さらにはハワイ公演など、トークセッションではありえない規模にまで広がり昨年で13回を迎えたと言います。

 

私は、数回見に行ったことがあります。

大学生ゆえの気の迷いでアルバイト代をはたいてハワイ公演も見に行きました

。当時サブカルに憧れていた私にとって二人はアイドル的な存在でした。

 

今回観た映画はそのスライドショーの誕生から20年を記念した記録映画「ザ・スライドショーがやってくる『レジェンド仲良しの秘密』」です。

 

 

もう20年も経つのかと気が遠くなりそうになりましたが、この節目の映画はしっかり見ておかなければと意気込んで映画館へ行きました。

 

とはいえ、主婦なので意気込みつつ100円でも安く観ようとレディスデーを狙っていきました。

ところが、チケット売り場で「こちらは特別料金となっているので1800円です」と伝えられ、通常料金と変わらない価格を支払うことになったのです。

 

いつもなら「くそー、わざわざこの日に来なくてよかったじゃないか!」と思う場面ですが、私はいたって冷静でした。特別料金が何を意味するのか。私はピンときました。「お土産があるはずだ!」と。


通常のスライドショーでは絵皿やみうら&いとうの等身大プリントのシーツなど、自宅に持って帰ってもどのように活用していいかわからない類の「お土産」を持たせてくれるのが、お決まりとなっているのです。

 

案の定、指定されたスクリーンに入る際、チケットを係員にもいでもらったあと係員が小さな封筒を手渡してきたのです。

 

ドキドキしながら封筒の中身を取り出すと、カード大のマグネットが。何とも言えない表情のみうら&いとうの二方が映っていました。帰宅後処遇に困り、とりあえず冷蔵庫に貼ってみることにしました。

 

 

 

映画の内容は過去のスライドショーの名場面をちりばめながら、みうらさん、いとうさんを個別にインタビューしたシーンを挟み、この20年を振り返るというもの。懐かしい過去のスライドを見ているとあのころの私の青春時代がよみがえってきました。

 

当時スライドショーは人気で抽選でチケットを購入するほどでした。

運よく手に入れたチケットで見に行けた公演、また大枚をはたいて長旅を超えて見に行ったハワイ公演、いずれも1秒も見逃すことが惜しいものですが、私は必ず途中15分から30分居眠りをしてしまうのです。

 

今回の映画を観ているときも、やはり眠ってしまいました。

スライドショーのゆるさも私自身の挑み方も青春時代と変わっていなかったことがなんだかうれしくなってしまいました。

 

そして居眠りから目が覚めたあと、いとうさんがこのスライドショーがなぜ人を魅了するのか分析したことに深く共感をしたところがありました。

 

 

それは、観客はみうらさんといとうさんが仲良くしている所を見るのが楽しいのだという発言でした。そうなんです。

みうらさんが津々浦々で集めてきたネタを見るのを目的に来ているのですが、それに加えて役割だとか興業だからということを越えた二人の仲良しっぷりを見るとこの上ない多幸感を得られているのです。

 

この構図どこかで見たことがあるなと思いました。ジャニーズです。

ジャニファンは、嵐や何やらが仲良さげに冗談を言ってじゃれあう姿を見るのが楽しみだと言います。

みうらさんやいとうさんはジャニーズとは全く違うベクトルに位置していますが、人はそのような光景を見ると幸せになることには変わらないんだな、と感じました。
そして、先ほど述べたようにそういう意味でも私にとって二人はまぎれもなくアイドルであったことを痛感したのでした。

 

 

20年前の映像と比べると二人は確実に年を重ねています。これからも誰にも真似できないスライドと切れのある突っ込みで私たちを楽しませ続けてほしいなと思いました。